佛になる道には、我慢偏執の心なく、南無妙法蓮華経と唱へ奉るべき者也。

法華初心成佛鈔

 

我慢(がまん)と聞くと忍耐とか辛抱という意味で使われていますが、本来の佛教用語では「自己中心的な考え方」のことを言います。

偏執(へんしゅう)とは、「偏ったものの見方」という意味です。

成仏(この世に於いて幸せになる)の為には、自己中心的な考え方と偏ったものの見方を捨てて、感謝の念(おもい)をもって南無妙法蓮華経を

唱えて、思いやりの心(仏の心)を育てていくことが大事である。と、言われています。

人はみな、仏様の世界から生まれてきた仏の子であります、いつも仏様が見守ってくださっています。

南無妙法蓮華経をお唱えして仏の心を育てましょう。いつ仏様に見られてもいいように。


国を損じ人を悪道におとす者は、悪知識に過(すぎ)たる事なきか。

 

唱法華題目鈔 

文応元年(一二六〇)聖寿三十九歳

 

 

【悪知識に染まらない心】

悪知識は、文章や映像や様々な情報、あるいは人の姿になって周囲を誘います。

どんなに気を付けていても、つまずくことがあるように、悪知識に騙されることがあります。巧みに人を騙す姿はテレビや新聞などでよく見聞きしますが、詐欺事件のように当事者には分かりにくいものです。

様々な形で注意を呼びかけていますが、あの手この手と被害は後を絶ちません。悪知識は、さも善人のような顔をして忍び寄ってくるからです。

 

さらに国を動かす立場の者が「悪知識」に染まれば、国を損ね、社会を壊し、人間の営みを破りかねません。そうならないために日蓮聖人は、真実を見通す智恵の眼が必要であると示され、蓮の花のように泥水(悪知識)に染まらない美しい心を養わなければならないと戒められたのです。蓮の心を持った人はつまずいても、その「つまずき」から大きく学んで成長する力を備えます。個人は勿論、社会の安穏のためにも、私たちは蓮の心を持ち、しっかりと前へ歩まなければならないのです。


仏の子として

 

月参りをしているお檀家さんとのお話の中で、「お上人、一生懸命に仕事をして来て、それなりに楽しいく暮らしてきたんだけど、最後死ぬ時、『いい死ぬに方』ってどういうことを言うんですかね。」を言われた方がおられました。以前ある雑誌に「いい死に方」と「悪い死に方」について掲載されていました。

それには「いい死に方」とは「幸せな死に方」であり、それには世俗的な価値観から距離をおいてみる。死を見据える、今までとは違う生き方をしてみるのが良いとの事。また、菩提寺の無い方は供養をお願いしたいお寺を見つけて、このお寺に葬ってもらうのだという安心を得る事だそうです。

現代社会では、身寄りが居ない方でも医療機関が最後を看取ってくれます、葬儀も葬儀社がしてくれます。しかし、故人が遺骨になってからは、弔って供養してくれる人・場所が必要になります。

そして「悪い死に方」とは「惨めな死」のことであり、「死後、自分を供養をしてくれる人」がいないという「死後の不安」を持つ死に方だということです。家族や親族がいても、引き取り手の無い遺骨や忘れ物として届けられる遺骨が増えているようです。

死は必ず訪れます。だからこそ、先ず死後の自分を考えるのべきであります。

 

昔、「大往生」(永六輔さん)という「死」をテーマに書かれた本の中に「いかに死ぬかという事は、いかに生きるかということ」「死に様とは生き様の事」という言葉がありました。

日蓮大聖人は「妙法尼御前御返事」という御遺文の中で

「人の寿命は無常なり。出る息は入る息を待つ事なし。風の前の露、なお譬えにあらず、賢きも愚きも、老いたるも若きも定めなき習いなり。されば先ず、臨終の事を習うて後に他事を習うべし」

 

この御遺文はご信者である妙法尼さんからの、「主人は南無妙法蓮華経を夜も昼も唱えて、いよいよ臨終が近くなったら二声高声に唱えました。そして最後は生きている時よりも、安らかな顔でした」という、ご主人の臨終された報告のお手紙に対する御返事です。

これに対して日蓮大聖人は、人の寿命の無常さを風の吹く前の露に喩えられて、「先ず臨終の事をわきまえて、その後で他の事を学ぶべきである」と、どんな人でも必ず死んでしまう、だからどの様に死を迎えるか、また自分の死後の事を弁えておく。とお示しになりその為には、どう生きなければいけないのか。生きるべきなのかを言われています。

「法華経の名号を持つ人は今生また過去世の黒業の大悪は、変じて白業の大膳となる。まして過去世からの善根はみな変じて金色になる」また「あなたのご主人は臨終に際し南無妙法蓮華経をお唱えになられたのであるから、無死の悪業も変じて仏様の種となったのです。煩悩即菩提、生死即涅槃、即身成仏という法門はこのことなのです。このような人と夫婦として縁を結ばれたのですから、あなたの女人成仏も疑いないのですよ。」と、この言葉は妙法尼さんにとって、この上ない救いになった事でしょう。 

 

法華経に「今この三界は皆是れ我が有なり、その中の衆生は悉く是れ我が子なり」と説かれています、この世界は仏様の大事な財産であり、生きとし生ける私たちは仏様の子供であると言われています。仏の子として恥じない生き方をしなければなりません。いい加減な毎日を送る事は出来ないでしょう。

 

この世において、受け難き人身を受け、会い難き妙法に出会えた私たちは、この限りある人生の中で果たしていく使命があります。それは各々の立場で南無妙法蓮華経の道を持ち、行い、護り、弘めることです。私たちを一人ひとり見守ってくださっている俱生神さまとの契りの符である俱生神月守を着帯し、南無妙法蓮華経をお唱えする信仰を生活の基として、みんな一緒にみんなの幸せを願うことです。

共に生き、共に栄えて、共に歩んでいきましょう。

 

 


仏の御目には一一に皆御仏なり

本尊供養御書

 

法華経の行者・日蓮大聖人は、法華経を絶対択一された法華経至上主義者であります。その絶対の根拠はただ一つ。法華経が、仏教唯一で最大の目的である「凡夫を皆な仏に成す」大法であるからでありました。法華経の秘妙さ絶妙さを日蓮大聖人は「法華経の不思議」「法華経の御力」と言われ讃嘆され、故に、法華経の文字、その全文、全文字の一字一字は、そのまま仏様のご本意・ご本懐すなわち衆生救済をあらわし告げるものである。つまりは、仏そのものであると。要するに、肉眼・凡眼に見る黒い印字は、智慧の眼・慈しみの眼である仏眼には、変じてみ仏の本体・本質と映るのであります。
凡夫成仏の大転換、転凡(てんぼん)成聖(じょうしょう)・転凡(てんぼん)入聖(にっしょう)の不思議さを日蓮大聖人は言葉に尽くして説き明かされるのである。「法華経の不思議もまた是の如し。凡夫を仏に成し給う。蕪(かぶら)は鶉(うずら)となり、山(やま)の芋(いも)は鰻(うなぎ)となる。世間の不思議以(もっ)て是(かく)の如し。何(いか)に況(いわん)や法華経の御力をや」と。蕪は野菜、鶉は鳥、また山芋と鰻。全然種族を異にするが形状は似る。だから実体はちがうが形が似ていれば誤って見られやすく、あり得ぬことも起こるように、ものごとはよく変化するものであると。一字一仏、変じ転じて凡夫を仏となすことの譬話であります


なにごとも意志から生じる

 

 ものごとは意志(心)にもとづき、意志(心)を主とし、意志(心)によってつくり出される。もしも不純な心を持って話したり行ったりするならば、苦しみはその人に返ってくる。

 ものごとは意志(心)にもとづき、意志(心)を主とし、意志(心)によってつくり出される。もしも清らかな心を持って話したり行ったりするならば、喜びがその人に与えられる。影がその体から離れないのと同じである。

 情欲、怒り、迷妄、執着、怨みを捨てることが大事である。

 

世界には自分の外にものが存在するのは確かです。しかし、自分がいなくなれば自分にとっての世界はなくなります。

自分が存在し、認識してはじめて世界が存在するのです。この世界は自分の「心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される」のです。

自分の心が自分の世界を創り出し、変化させるのです。

自分が考えたように世界は変わり、自分も変わるのです。

だから、なろうと思っているような人間になれるのです。

 

※すべてのことは、心から始まり、結果が作り出されます。だから、正しい心を持って行動しなければ、良い結果は生まれません。

  本来私たちの心は佛さまと同じであります、しかし凡夫である私たちはその佛さまと同じ心は眠ってしまっています。その眠ってしまっている心を目覚めさせてくれるのが、南無妙法蓮華経の力です。

 


教主釈尊の愛子なり。

法華取要抄

どんな命でも親がいて生まれます。
子から親へ遥かに遡ると宇宙の起源にまで到達します。これがお釈迦さまの説かれる久遠の命です。そして子育ての教科書として法華経を説かれ、お釈迦さまと全ての人々は親子である示されたのです。だから私たちは久遠の命を授かった子どもなのです。
この世の中はお釈迦さまの家族によって構成されていることになります。しかし世間を見渡せば、そうとは思えないことばかりですし、私たちが仏の子だと信じることは容易にできません。この不信こそが不安の根源なのです。 
そこで日蓮大聖人は、赤子に乳を含ませたいが如くに、私たちに一心に教えを説かれ、信仰によってお釈迦さまとの親子の関係を取り戻し、仏子による安穏なる社会をつくり上げようとなさったのです。

たといさとりあれども信心なき者は誹謗闡提の者也

法華題目鈔

文永三年

 

「信心肝要」
仏法の大海(だいかい)は信を能入とするといいます。能入とは、仏の教えの門に入り、仏道を成就へと導く最良・最先の手がかりのことです。

それが「信」。信ずることによってのみ仏道をきわめ入ることができるのです。信心肝要、信心為先である。

信心の志とその実修によってのみ、仏に救われるのであり、そのための根本条件が信の一字であります。 
悟りの有無、この場合の悟りとは仏教の理解度をさしますが、知恵・才覚などは、成仏の必要条件ではない。いたずらな才能は、ややもすれば逆作用を生むから利根は不可。むしろ鈍根者は純信ゆえに一途で正しい見識を素直にまっすぐにもつのであって、頼もしいのであります。

ただただ純粋に信心を持つのみなのです。


飢時の飲食、寒時の衣服、熱時の冷風、昏時の睡眠、みなこれ本有無作無縁の慈悲の利益にあらざることなきなり。

 

授職潅頂口伝鈔

文永十一年二月十五日

 

空腹のときにご飯が頂ける。のどが渇いたとき水が飲める。寒いときに温かい服を着る。熱いときに冷風にあたる。 ただただ当たり前の事であります。でも、食べたくても食べ物がない、寒くても着るものがない、眠くても寝ていられない・・・たくさんいます。

ただただ当たり前の事でも、それができるのは守られているから、眼には見えないけれども仏様神様に護っていただいている、功徳をいただいているからなのです。

まずそのことに気付く事が大切です。

今年新型コロナウイルスによって、当たり前だったことが当たり前でなくなり、不自由な生活が約1年たとうとしています。今までの生活が、どれほど有難いことだったのかが・・・

「南無妙法蓮華経の妙とは蘇生の義なり開顯の義なり」といいます。蘇生とは蘇らせる、生き返させることであり、開顯とはもう一度ものの本質、価値を見直すことです。

何気ない日常、平凡といわれる生活の有難さ、いつも護られていたんだと、仏様神様に感謝の心を持ちながら、南無妙法蓮華経を唱えていくと、必ず以前のようなそれ以上の生活に戻ることが出来のです。

あたり前っと思う心の袋の中には仏様がいらっしゃたのです。


仏法は体のごとし世間は影のごとし体曲れば影ななめなり

 

諸経与法華経難易事

弘安三年(1280年 聖寿59歳)

 

「体と影」
仏法と世間は一体不可分の関係にあります。仏法が主体・中心であり、世間はその反映・影響であります。
仏法が正しく伝わらないと、世間の濁乱(じょくらん)を招きます。   
それは源流が濁っていれば下流が清いはずはなく、体が曲がっていては影がまっすぐにはならないのと同じであります。

この関係を日蓮大聖人は「法定まり国清(す)めり」、国土の平安は仏法の正しい安定によるのであると言われています。
要するに宗教の邪正と国家の消長はそのままに対応し比例します。正しく仏法が弘まらないと国=政治も判断が遅れ安定が保てなくなります。

日蓮大聖人の一生の主張と課題と使命感をあふれさせた「立正安国」の「立正」の大切さでもあります。


此の経を信ずる人の所住の処は即ち浄土なり。

 

守護国家論

正元元年(1259年 聖寿38歳)

お釈迦さまが悟りを開かれて、浄土とは他にあるのではなく、ここに常在すると説明されました。こことは私たちが住む娑婆世界の事(現実のこの世)です。娑婆即寂光土、お釈迦さまは娑婆を離れて浄土はないと教えを明らかにされたのです。

不浄の池に浄花を咲かせ、苦悩の忍土も楽土も私たちの心の持ち方ひとつで変わるのです。

お釈迦さま・法華経の教えに素直に聞くことが、この世界を浄土に変えることが出来きる方法です。


和が面を見る事は明鏡によるべし

 

『神国王御書』/

文永十二年(1275)聖寿五十四歳

=明鏡と仏教=

朝起きて洗顔するとき、鏡の中の自分の顔を見ます。そして今朝の体調を感じ、今日一日元気でがんばろうと思います。それと同じように社会全体を写す鏡があれば、社会の健康状態を知り、とるべき行動がとれるはずです。

日蓮大聖人は世の中を写す優れた鏡=明鏡は仏教にあると示されました。私たちは、み仏さまの教えを頂くことで、正しい姿を学び、正しい道を歩み、そして平和なる安穏な社会づくりへと力を出すことが出来るのです。

 

『神国王御書』 

このご遺文は、日本の国名、地理、歴史から書き起こされ、その後、多くの宗派の経緯を示しながら、その教えに対する疑問が、日蓮大聖人を出家へと導いたと語られています。 そして、正しい信仰・信念を立てられないことが国を衰えさせる原因であると指摘され、歴史と経緯から真理を再確認する方策を示されました。本書はお手紙ですが、日蓮大聖人の信仰と基本理念が語られた重要なご遺文です。


各々互に読み聞けまいらせさせ給え

『法華行者値難事』/
文永十一年(1274)聖寿五十三歳

 

=支える縁=
悩んでいる時は誰かに話しを聞いてもらうだけでも、だいぶ楽になります、話を聞いてくれたと感謝の念が生まれます。
話を聞いてあげたほうは、少しでも悩みが取れたかなを心配し気遣います。
感謝する、気遣う、この双方には、心が通い・心に温もりが生まれます。そして双方ともに救われます。
支え合う社会とはそんな人間の姿をいうのではないでしょうか。

  

『支援』とは支える縁『支縁』だと言われた方がおられました。「支援は、する方もされる方も差がありません。どちらも救われるのです」
『縁』は、人々が支え合って生きていくのに大切な『援(たすけ)』へと導いてくださいます。
どんな小さな『縁』も大事にしたいですね。

『法華行者値難事』

このご遺文は、日蓮聖人が流罪された佐渡より、現在の千葉県市川市大本山法華経寺を創建した富木常忍公と諸人に宛てられた書状です。

現在の迫害や災難の意味を明確に示され、このような乱れた世の中では、互いに常に寄り添って語りあい、絶えず未来の姿を祈ることが大切ですと、短い文章の中に繰り返し説かれ激励されています。

 


法華経の文字は六万九千三百八十四字一字は一仏なり。

 

『御衣並単衣御書』/
建治元年(1275)聖寿五十四歳

 =経文と仏陀=

お釈迦さまが悟られた内容であり、また弟子たちに伝えたかった教えが法華経であります。 その文字の総数は六万九千三百八十四文字であり、この一文字一文字がお釈迦さま・仏陀そのものなのです。 

これは私たちの身体を構成している細胞と似ています。それぞれの細胞に遺伝子が組み込まれているように、法華経の一文字一文字には、悟りの全てが具わっている大慈悲そのものであります。大慈大悲の法華経を読むからこそ功徳を戴けるのあります。 

お経を読むときには、一文字一文字をしっかいりと見ながら読むことが大切であり、大慈悲の功徳を戴くことにより、自らの仏性が開花し幸せへの道を歩んでいけるのです。

 

『御衣並単衣御書』建治元年(一二七五)聖寿五十四歳

このご遺文は、現在の千葉県市川市在住の富木常忍公の夫人から供養の品として、法衣の生地と単衣の着物が届けられたことに対する礼状です。 慈悲にあふれた優しい心と、困難に耐え忍ぶ強い心との両面を備えた衣を着なければならないと示されながら、種を植えれば多くの実りがあるように、この供養を法華経に奉れば六万九千三百八十四の仏に供養したことになり、その功徳は大きいと讃えられています。


それ月は清水に影をやどす濁水にすむ事なし。

 

『諫暁八幡抄』/
弘安三年(1280)聖寿五九歳

=新年の心=

 また新しい年が来ます。今年を反省し、誰もが清らかな志を立て、実りのある一年にしようと誓います。

 

 しかし、時が経てばどうしても濁ってしまい、輝きを失うことがあります。そのときは、新年の誓いを思い出しましょう。
諸天善神は清らかな心にこそ住まわれます。

 

 常に過去に学び、常に自らの誓いを保ち、常に未来を見据えて、常に前を見て、こころ晴れやかに、゛今゛を大事生きて人生を謳歌しましょう。

 

 

 

日蓮聖人ご遺文

 

『諫暁八幡抄』

 

 弘安三年十一月、源頼朝が創建した鶴岡八幡宮が焼失しました。このご遺文はこれを契機に述作されたものです。

 

 日蓮聖人はこの焼失から、八幡大菩薩は、正しい心を失ったこの国の人々を見捨て、天に帰ってしまわれたのかと問題を提起されたのです。そして、たとえ宝殿が消失しようとも八幡大菩薩は、人の美しい心に住まわれるであろうと示されました。

 

 またこのご遺文は、日蓮聖人が釈尊と同じように、一切衆生が受ける苦しみを自己も同じく背負うという信仰を表明された重要な書です。